明治中期までの「みち」
江戸時代中期には「十勝よりフラヌに出て上川に至る線」として『みち』が存在していたとの記録があります。
明治18年、「北海道三県巡視復命書」では、『札幌から十勝国を経て根室に至る幹線道路開設は急務』と説かれ、明治19年、札幌・上川・十勝を経て根室に至る計画が立てられ、上川地区で道路建設に着手されました。
当時、札幌〜帯広間の距離の詳細は不明ですが、現在の国道38号・12号などのルートを考えても約260kmもあり、徒歩の場合最低でも9日間程度必要であったと推測されます。
参考文献
「北海道の峠物語(三浦宏 社団法人北海道開発技術センター)」
「とかちの国道(北海道開発局帯広開発建設部)」
「北海道の峠物語(三浦宏 社団法人北海道開発技術センター)」
「とかちの国道(北海道開発局帯広開発建設部)」
明治中期〜後期までの「みち」
明治31年、現在の狩勝峠付近でも道路工事が開始され、翌32年に完成しました。 この当時、北海道の主交通機関となる「鉄道」は、北海道官設鉄道により十勝線として狩勝トンネルの建設が進められ、明治40年に十勝〜石狩間が鉄道で結ばれました。
一方、現在の日勝峠となる日高〜十勝清水間では、路線調査などが行われていましたが、峻険な地形とそれを覆う原生林、厳しい気象条件、度重なる開戦などにより、その計画は遅々として進まなかったと言われております。
参考文献
「北海道の峠物語(三浦宏 社団法人北海道開発技術センター)」
「とかちの国道(北海道開発局帯広開発建設部)」
「石勝樹海ロード一般国道274号工事誌(北海道開発局室蘭開発建設部)」
「北海道の峠物語(三浦宏 社団法人北海道開発技術センター)」
「とかちの国道(北海道開発局帯広開発建設部)」
「石勝樹海ロード一般国道274号工事誌(北海道開発局室蘭開発建設部)」









