EPISODE北海道の高速道路の思い出・エピソード

北海道の高速道路の
思い出・エピソード

ご紹介

たくさんのご応募をいただき、
誠にありがとうございました。

皆さまからお寄せいただいた素敵な思い出・エピソードの一部をご紹介します。

「巣立ちに向けての長距離移動」

釧路市・40代女性

高校3年生の長男の進学に伴う部屋探しに、私と2人で1泊2日の小旅行。息子と2人で過ごす時間はある意味とても貴重。運転中、久しぶりにゆっくり話し、途中初雪になぜか喜ぶ長男。トイレ休憩で初雪をパシャリ。雪道運転は苦手な私ですが、高速道路は走りやすいので安心して運転。往復600キロも長男と一緒にいられる事がうれしくて、もっと走りたいと思っていました。高速を運転するたびに、あの日あの時間、寂しさと嬉しさの混じった気持ちで運転したことを思い出します。

「父の高速運転」

苫小牧市・60代女性

子供の頃、父が免許取り立てにもかかわらず、札幌までの家族旅行に「高速道路で行くぞ!」と宣言し、母が「もっと一般道で練習してからにしたほうが・・・」と止めてもきかずに、家族4人をのせて出発しました。当たり前ですが、信号もないほぼまっすぐな高速道路は子供たちにとってワクワク感でいっぱい。嬉しくてつい大声を出すと、父に「うるさい!こっちは真剣に運転してるんだ。静かにしろ!」と怒られましたが、とにかく楽しい時間でした。あっという間に札幌に着き、家族皆びっくりした思い出がいまでも鮮明に残っています。

「大学進学で、
初めての1人暮らしの引っ越し」

札幌市・30代男性

大学進学で函館に行くにあたり、登別室蘭ICから国縫ICまで高速道路で移動しました。初めての1人暮らしで、期待と不安が入り交じる中、両親は移動する車内で、緊張を和らげてくれたり、色々なアドバイスを話してくれ、両親からの愛情を深く感じることのできた移動時間となりました。

「出会いと別れ」

埼玉県所沢市・30代男性

当時21歳の私は東京に住んでおり、初めての遠距離恋愛をしていました。相手は私のひとつ上で、5歳の女の子を持つ未婚の女性でした。彼女は新川IC近くの発寒に住んでおり、月2回は新千歳空港まで高速道路を利用していました。走行中の車内で子育てをしたことない私に様々なことを考える時間を与えてくれたのが、北海道の高速道路でした。悲しい思い出、楽しい思い出、仮のお父さんになった思い出、出会いと別れの人生の道、そんな思い出があります。

「冬の岩見沢SAにて」

札幌市・50代女性

久しぶりに娘と実家へ帰る途中で岩見沢SAに立ち寄りました。そこに、頑張って作られていた雪像がありました。決して上手いとは言えない雪像を見て、何だかスゴくほっこりして、疲れも吹き飛び、安全運転でドライブが続けられました。冬道で道路が滑る緊張感が和らぎ、寒い中、頑張って作ってくれたことに感謝です。小さな小さな雪まつり。とても嬉しいサプライズでした。

「娘との不安なドライブ」

札幌市・50代男性

大学を卒業し、就職が決まった娘が向かう先は帯広。引越荷物に先駆けて、娘と2人で道東道を東に向かいました。初めての独り暮らしと社会人1年生という不安の中でのドライブ。しかし、この高速道路でつながっているという安心感のようなものも感じることができました。

「高速道路を家族で歩く」

北広島市・60代男性

今から約20年前頃の話です。家族4人で士別市の完成して未開通だった高速道路を、「健康ウォーキングinしべつ」と称して3km歩く大会に参加しました。実際に歩いてみると、舗装の砂利の粒度が粗い、白線が分厚い、緊急電話ボックスが高い位置にあることなど、車で走っていると気づかない色々な発見をしました。幼稚園の子どもが歩き通せるか心配でしたが、お兄ちゃんと高速道路の線の上を落ちないように歩いたり、道路の真ん中で寝転んだりして楽しんで完歩でき、今では家族の楽しい思い出になりました。

「私の人生を導いてくれた道央道」

静岡県清水町・40代男性

幼い頃、札幌から祖母が住む旭川への主たる移動ルートは、国道12号、275号、そして道央道。親からすれば、特段急いでもいないので下道を通るのが常でしたが、一度道央道を乗った時の幼ながらの感動は今でも忘れません。「なぜ看板が緑なの?ここだけ特別なの?」。この特別感に対する言葉では言い表せない感情は心に強く刻まれ、その後、下道を選択する父母に泣いて、高速道路に乗ってとお願いしたものです。その記憶が、今、道路を仕事とする私のモチベーションであり続けています。ありがとう道央道!!

「私の恋バナ聞いてください」

札幌市・30代女性

最初に北海道に来たのは2020年冬。当時の彼の札幌出張に合わせて、1人で飛行機に乗りました。彼は大学4年間を北海道で過ごしており、その情景に魅了され卒業後も毎年足を運ぶほど。土地勘もあるため、道東を中心にレンタカーで案内してくれました。今ではその彼は旦那さんとなり、昔と変わらず旅の運転手をしてくれます。今春から北海道に転勤になったため、退職してついてきました。昔通った高速道路を通るたびに、「この道をまた2人で通る日がくるなんてね」と笑い合っています。

「悲願の日勝峠越え」

札幌市・30代男性

学生時代、試合の遠征などで幾度となく越えてきた日勝峠。卒業後しばらくして、未開通だった道東道の峠区間がついに開通。レンタカーで道東道を初めて走った時は、「こんなに楽に帯広まで行けるのか」と驚きました。特に占冠ICを通過した時のえも言われぬ感動は忘れられません。今では仕事で、釧路まで道東道を月1回以上利用してます。早く根室まで繋がって欲しいものです。

「ありがとう」

北斗市・40代男性

私が38歳の秋に、20代の時から思いを寄せていた女性と偶然再会することができました。彼女は札幌市、私は北斗市のプチ遠距離で、恋が実るかどうかわからないなか交際をスタートさせ、大沼ICから札幌南ICまで毎週末、ウキウキドキドキしながら行き、寂しい気持ちで帰路についた思い出があります。現在は恋が成就し、1人の子宝にも恵まれ、幸せな生活を送ることができています。高速道路がなかったら通いつめる事ができなかったと思うので、道路管理をされている方々に本当に感謝しております。ありがとう。

「ソフトクリームVS景色」

大阪府貝塚市・40代女性

夏休みにレンタカーを借りて、夫の運転で夫婦2人、北海道を旅行しました。洞爺湖から函館へ走っている途中で、八雲PAに寄りました。湾が一望できる壮大な景色を眺めながら、濃厚なソフトクリームを食べたのが何よりの思い出です。青い空も、ぐるりと見渡せる地平線も、心が解放されるようなすばらしさでしたが、時間がたっても記憶が薄れないのは、あの濃くて甘いソフトクリームの味です。

「輪厚で小樽旅行」

札幌市・40代女性

娘が小さい頃、高速に乗ると必ずと言っていいほど輪厚PAでガラス細工を買い、小さなガラス細工を集めてキレイに飾って遊んでました。今は輪厚PAもリニューアルされとてもキレイな施設に変わってしまいましたが、また別の楽しみができ、札幌から道央道に乗るとつい寄ってしまいます。娘は成人して東京へ行ってしまいましたが、今度は夫婦2人で、新たな発見をしながら楽しみたいと思います。

「息子に早く会いたくて」

稚内市・40代女性

「札幌市消防局救急隊です。自転車に乗っていた息子さんがバイクと衝突して、救急病院に搬送します。いつ来れますか?」。仕事中に突然、携帯電話に連絡があった。当時、私は札幌から岩見沢まで通勤していた。小5の長男が交通事故。頭が真っ白になった。慌てて岩見沢から札幌行きの高速バスに乗車した。一刻も早く札幌に到着して欲しい。怖がりの息子は不安で泣いているかもしれない。病院に到着して長男と会えたらホッとした。あの時、少しでも早く到着できたのは、高速道路のおかげでした。

「愛猫の思い出」

札幌市・50代女性

約17年前、函館から札幌に引っ越す事になり、引越屋に家具を引き渡した後、8歳の愛猫と高速でマイカー移動した時のことを今でも忘れられません。愛猫にとって初めての遠出。そして初めてのトンネル。暗くなるたびに不安な鳴き声を連発。道中トンネルがとても多いんです。やっと樽前SAで車外に出た時は、少しほっとした表情になり、水を飲んでくれたので安心しました。猫にとっては運転中の飼い主に頼ることもできず、怖い思いをしたことでしょう。高速を走ると、大好きだった愛猫を想い出します。

「思い出のソフトクリーム」

愛知県北名古屋市・20代女性

大晦日の日は、富良野の祖父母の家へ行くのが恒例だった。助手席の母が、「トイレは大丈夫?ここからしばらく行けないよ」と私と兄に聞く。「大丈夫!」と二人で元気に返事をするのに、途中で絶対に「トイレ!」とまた元気に言う。「もう、だから聞いたのに」と言いながら手をつなぎトイレへ駆け込む母に、「ソフトクリーム」とねだり、車へ持って帰る。「一口ちょうだい」と言う父の一口は決まって大きい。コーンの底からこぼしながら食べる私と兄の手を母が拭く。そんな年末が、私は一番好きだった。

「父との思い出」

札幌市・60代女性

18歳で免許を取り1年が経過した頃、家族で白老の親戚の家まで出かけることになり、初めて高速道路を運転しました。私はルンルン気分でハンドルを操作していましたが、助手席に座った父はドキドキ、ハラハラで、生きた心地がしなかったことでしょう。53歳で他界した父。父を乗せて高速道路を運転したのは、その時が最初で最後になりました。もう40年以上前の思い出です。

「実家とつなぐ架け橋」

札幌市・40代女性

現在21歳の長男が11際の時に、札幌~帯広間が高速道路一本でつながり、すごく便利になりうれしかったのを覚えてます。帯広にある実家に短時間で帰省できるし、それまでくねくねした道で車酔いしてた長男も、高速道路だと車酔いをしなくなりました。PAでは、夏の昼間はアイスを食べ、夜にはクワガタを見つけて子供たちが喜んでたのを思い出します。秋は山の紅葉を見ながら・・・。今では免許をとった長男も運転しています。私たちにとって、実家とをつなぐ思い出がつまった架け橋です。

「迷っていても結局いつも同じ味」

札幌市・20代男性

子どもの頃から夏休みは必ず家族でキャンプに行ってました。行き先はさまざまだけど、いつも休憩に立ち寄る砂川SAの大きな佇まいは、子どもながらにずっとワクワクしてました。ソフトクリームはバニラ味が好きなのに、そこではなぜかラベンダー味に惹かれて必ず買ってしまう。大人になってもラベンダーにしてしまうのは変わりません。帰省のたびに途中で寄る砂川SAは、大人になってからもやっぱりワクワクします!

「高校卒業アルバムのクラス写真」

札幌市・50代男性

1988年の秋、岩見沢ICから北が完成はしていたけど未開通のタイミングで、特別に許可をいただき、岩見沢SA近くの高速道路上で卒業アルバムのクラス写真撮影をしました。あれから34年。皆はどんな道を歩んでいるのだろうか。偶然これを読む旧友はいるだろうか・・・。

「彼に会うため」

札幌市・30代女性

札幌に住んでいた私と帯広に住んでいた彼。昔は彼に会いに行く時は、車で日勝峠を通っていました。濃霧で怖い思いをしたこともありましたが、道東道が開通してからは運転がとっても楽になり、会いに行く回数も増えて、彼との距離もぐっと縮まったような気がしてうれしかったのを今でも覚えています。その彼は、今では大切な旦那様です。

「夏休みといえば高速道路!!」

名寄市・30代女性

私が小学2年の時の思い出です。夏休みに海キャンプへ行きました。当時、我が家にテントがなく、父の会社のご厚意でマイクロバスを貸してくれました。どこの海だったのかは記憶にありませんが、父が運転するバスで、高速道路を使って向かった記憶だけははっきり覚えています。ICをくぐる時に興奮で鳥肌が立ちました。いつもよりも少し速い速度で緑の中を走っていたと思えば、札幌の街並みが一面できる景色へ。ワクワク全開!!その血は息子へ受け継がれ、実家に帰省する時、「高速道路やったー!!」と言います。

「新社会人」

釧路市・20代男性

私は小さい頃から釣りが趣味で、父親と高速道路に乗って、小樽や苫小牧に行っていました。就職して地元札幌を離れ、釧路に住むことになりました。自分の車を買って、高速道路で釧路に行くことになったのですが、父親が一緒に釧路まで乗っていってくれることになりました。色々な話をしながら運転し、父親がいる安心感があり、慣れない高速道路も楽に走れました。新社会人になる期待と実家を離れ1人暮らしをする不安がありましたが、それと同時に、両親の愛を感じました。

「家族旅行」

札幌市・60代女性

我が家は、子供をいれて3人の家族です。そして、大事な大事な、愛犬ココ。どこに行く時も必ず一緒です。そんなココが大好きなのが、車でのドライブです。年に何度か出かける高速を使っての道南の旅。車窓を眺め、SAで休憩とお散歩。ココの満足そうな表情と走り回る姿が、思い出されます。今は、3人でのドライブですが、遠い空の上で一緒にいると思うと、ワクワクします。ココの大好きな車窓を眺めながら、思い出が一杯の高速道路の旅です。

「うわっと広がる空」

恵庭市・40代女性

高速なんて怖いし景色も別にいいわけじゃないし、うまく乗れるかわからないし・・・、と敬遠していた20代。まわりから早く着く方がいいんだから、高速に乗れと言われ、しぶしぶ乗りました。木ばかりでつまらないなーと思っていた矢先、まっすぐ続く道が、急にうわっと空や景色が開ける瞬間がありました。なにこれ。本州の人の考える北海道の景色そのものでした。ものすごい爽快感。こんな景色も見られるんだなと思った若かりし日々の自分。それから、高速にはよく乗るようになりました。

「高速道路で行った親子遠足」

札幌市・30代女性

以前、娘の保育園の親子遠足でえこりん村に行くのに恵庭まで利用しました。団体バスに乗り込み出発すると、大きな窓から見える景色やぐんぐんスピードをあげて走るバスに、娘は目をキラキラさせ喜んでいました。1時間ほどで目的地に到着し、公園内を散策したり皆でお弁当を食べました。たくさん遊んだので帰りのバスではぐっすり眠ってしまいました。初めての高速道路で行った遠足は、娘にとって良い思い出になりました。

「初運転」

釧路市・70代女性

娘が初めて高速道路を運転した時、こともあろうか、助手席の夫は寝てしまったのです。後部座席の私は免許もなく、助言もできず・・・。正直生きた心地がしませんでした(笑)。後ろにいても娘の緊張が伝わってきます。ようやく目的地に近づいた頃、おもむろに夫が起き上がり、「もうここまで着いたのかぁ。」何て脳天気な!と思ったのですが、これには後日談が。実はずっと起きていたらしいのです。「自分で判断して運転しないと上達しないからな。」とのこと。そのおかげか、今では安心して娘に高速道路の運転を任せられます。

「父を救ってくれた高速道路」

札幌市・20代女性

「お父さんが倒れた。救急車読んで!」母が叫ぶ。救急車は出払っていて、1時間以上かかるとのこと。私の家は日高の山奥で、町から60キロ離れている。父は年に4回、札幌の脳外科に通っていた。「救急車が来るまで待てない。」父を自家用車の後部席に乗せ、札幌の病院に向かった。生まれて初めての高速道路。安全運転で急ぎ、その距離146キロ。父は緊急手術で一命をとりとめた。高速道路が無ければ、父は死んでいた。「高速道路があって本当に良かった。」家族全員、感謝しかありません。